場帖について(1)

現在のやり方に変える前は、「手書き」ということの意義をまったく信用していませんでした。メンドウで手間が掛かるだけでムダじゃないかと、やる前から思っていました。


で、やってみるとこれが予想外にイイのです。
何がいいかというと、「すっと出せる」こと。
例えば、パソコンにデータを蓄積していたのを見ようとすると、パソコンではどうしても多少のタイムラグがあります。既に起動していたとしても、データを表示して、見たいところを出すまでには、ほんの少しですが、「え〜っと」っていう時間が掛かりますよね。
ところが、紙が手元にあると、「見たいっ」と思ったほぼ一瞬後に、手にとって見れます。しかも出すのにアタマをまったく使わないので、思考も途切れない。
これは予想外にいいことでした。


「じゃあパソコンで印字しておけばいいんだ」ってことになりますが、それでもいいのかもしれません。ただ、毎朝更新するものなので、毎朝ページを印字するよりかは、手で書く方が絶対楽です。過去データは印字で、追加は手書き、なんていうのは、字体が変わるからよくないですけど。


あと、よく言われるのは、手書きにすると体で変動感覚がわかる、というものです。
しかし、実はまだ場帖を体感するのは、それほどわかってません。以前「長く見ればいいかな」と思ったんですけど、ダメですね。ほんの数秒が勝負ではないかと。
なので、こちらのメリットをもっと享受(自覚?)するには、もう少し時間が掛かりそう。